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野中敏博 旅行ブログ

東京で税理士をしている野中敏博と言います。元々はシステムエンジニアだった知識・経験と、開業後に始めたマーケティングを活用して、 毎日経営者の方々と一緒になってこの不況を乗り切ろうと頑張っています。 趣味は旅行で、海外40か国を訪ねています。

マルタとイタリアの遺跡(その12 コロッセオとローマの遺跡群)

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マルタとイタリアの遺跡(その12 コロッセオとローマの遺跡群)

ブログ用目次

2012年08月に、地中海のヘソとも呼ばれるマルタ共和国と、イタリアのシチリア・ナポリ・ローマに行ってきました。

今回は、コロッセオと多くの遺跡のあるフォロ・ロマーノとその周辺をご紹介します。

なお、写真をクリックしますと大きな写真で景色等を楽しむ事が出来ますので、是非クリックして下さい。


01.コロッセオ

ホテルを出て最初に向かうは、ローマを代表する観光地であるコロッセオです。

紀元70年に工事開始というほぼ2000年前の建造物ですが、長径188m、短径156m、高さ48mという大きさで約5万人収容できたと言われています。

近づいてみると、大きいですね。



建物内部の階段を登っていくのですが、やはり階段も長い。



階段を登りきると、闘技場が見えてきました。



やはり、大きいですね。

古代ローマでは、分厚い板を敷いてアリーナ部分を使用し、板の下に猛獣等の檻がありました。

その様子を再現するために、アリーナの一部を板で覆っています。

コロッセオを降りて行って、地下の檻の跡を見てみました。



見てみると、檻も高さもあり、やはり大きいです。

今度は、コロッセオの反対側へ移動です。



観光客の姿が小さくて、あまり人がいない様に見えます。

でも、実際は観光客で一杯です。



それ位、大きいという事でしょう。

先程の反対側からの景色です。



コロッセオの外を見ると、次の目的地であるフォロ・ロマーノやパラティーノの丘が見えてきました。



次も、楽しみです。


02.フォロ・ロマーノやパラティーノの丘に繋がる聖なる道へ

コロッセオを後にして、古代ローマ発展の中核であった広場であるフォロ・ロマーノと、その隣にある有力者達の住宅地であったパラティーノの丘を目指します。

振り向くと、コロッセオの断面(?)が、見えます。



やはり大きいですね。

更に歩くと、コロッセオの全体が見えてきました。



フォロ・ロマーノとパラティーノの丘を隔てる道は、聖なる道と呼ばれています。



奥に見えるのは、ティトゥスの凱旋門です。



この聖なる道の入り口にあるのが、コンスタンティヌス帝の凱旋門です。



西暦315年に建築され、パリの凱旋門のモデルになり、ローマオリンピックのマラソンのゴールにもなりました。


03.パラティーノの丘へ

古代ローマの有力者達の住宅地であったパラティーノの丘には、2層の柱廊で囲まれたスタディオと呼ばれる馬場があります。



このスタディオの中に花壇があり、紫色の花が咲いていて、目を楽しませてくれます。



この日も天気がよく暑いので、思わず木陰に逃げたくなります。



この丘にはドムス・フラウィアと呼ばれる帝政ローマの宮殿跡があり、現在は博物館が建てられています。



ここからも、コロッセオが見えます。



次に向かうフォロ・ロマーノに近づくと、古代ローマ時代に元老院議事堂や裁判の場として使用されたマクセンティウスのパジリカが見えてきました。



それでは、フォロ・ロマーノへ移動しましょう。


04.フォロ・ロマーノにて

フォロ・ロマーノの入り口にあるのはティトゥスの凱旋門で、中世では砦としても使用されていました。



ここからも、コロッセオが見えますね。

この凱旋門の横にあるのが考古学博物館で、フォロ・ロマーノで発掘された出土品が展示されています。



更に歩き振り返ると、考古学博物館とティトゥスの凱旋門が見えます。



少し高いところに登り眺めると、考古学博物館とティトゥスの凱旋門に加え、パラティーノの丘から見たパジリカも見えます。



このパジリカ中央の身廊(入り口から主祭壇に向かう中央通路のうち翼廊に至る部分)でも、幅25m×奥行80m×高さ39mと言う大きさです。



人と比べると、大きさが判りますね。



振り返ると、パラティーノの丘も見えます。



ここから、フォロ・ロマーノの中心部を見ると、フォロ・ロマーノの巨大さがよく判り、古代にこのような巨大な都市を作ったローマ人の偉大さも改めて感じました。



なお、一番奥に見える建物の屋上に勝利の女神像が2体あるのが、次に向かうヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂です。

再び歩き始めると、コリント式の柱があるヴェスタの神殿が見えてきました。



巫女たちが、「聖なる火」を守っていました。

近づくと、神殿の後方に美しい3本のコリント式の柱がある双子神の神殿が見えてきました。



戦争で勝利した記念として、建設されました。


ここで振り返ると、遠くに先ほどまでいたティトゥスの凱旋門が見えます。



更に進んでいくと、フォカスの記念柱にたどり着きました。



この柱はⅠ~2世紀に建設され、先端に皇帝の像が乗せられていたそうです。


また振り返ると、ティトスの凱旋門が更に遠くに見えます。



進行方向には、フォロ・ロマーノの隣にある市庁舎が見えてきました。



この市庁舎の前にある8本の円柱の円柱はサトゥルヌスの神殿で、紀元前42年に建てられ、国家の財宝が収められていました。



正面から見ると、様子がよくわかります。



この神殿の隣にあるのが、今日3つ目の凱旋門のセヴェルスの凱旋門で、203年に建設されました。



ここまで来ると、広大なフォロ・ロマーノもほぼ見終えたことになります。

次回は、この凱旋門の後方にあるヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂を、ご紹介します。

(2012年08月)

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